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  高校入試でターイセツなこと、って何だ?!
§146 理科の問題集を作りながら思ったことVOL.1
<知識は5分の1の要素> 

 理科の問題集を作りながら、つくづく思ったことがありますね。つくづくですから、いいことはないわけですが、いいことないのを書くのも、また何かの役に立つこともあるかも知れず、うーん、まだらっこしいなあ、だらだら書かんと、はよ言えっ!という声も聞こえますが、春はとかく線が一本いつも足りないもので(いや、ニ、三本かな・・・)。

 それは、「理解」という代物は危ういものだ、ということです。もっとずばり、情念をなぞっていいますと、理解なんて、糞の役に立たんなあ、という感慨です。もちろんこれは、感情に圭角を持たせた言い方で、あまり上等な言い回しではないし、適切ともいえませんが。

 単なる暗記はその場限り。苦労して理解したものも、実はよく抜ける。じゃあ、深く理解して暗記したものはどうなのか? それもね、多少はましなんだけど、絶対ではないんだ、と。

 この状況を生徒で観ると、およそ以下の感じ。
・単なる暗記はその場限り。
   ――これに当て嵌まる生徒は実に3分の2以上か。
・苦労して理解したものも、実はよく抜ける。
   ――これに当て嵌まる生徒は4分の1ぐらい。
・深く理解して暗記したものはどうなのか? それもね、多少はましなんだけ
 ど、絶対ではないんだ、と。
   ――これに該当する生徒が、上の分を引けば12分の1未満になる。まあ、
     そんなものでしょうね。

 この観かた、理科と社会の2教科にはとくに当て嵌まるかな?!

 わたしの指導専門科目は英語と数学で、それに社会も付け足すことはできますが、特に英・数は20数年教えてまいりましたから、理解と暗記という次元はとっくに踏み越えて、通常の基礎から応用までその知識と解法のポイントは、半分頭に酸素が回らない状態でもすぐさまあらゆることが頭に点灯するわけです。これはしかし、職業的には当たり前のことです。

 また同様に、生徒がどこで躓くか、何がわかっていそうで実はほんとうにはわかっていないか、いま十分に理解していてもそのうちそれが曖昧になるか、また何度、何十回繰り返しさないと問題の注意点が守れないか、などなど、場面と各状況、その対処のしかたなどが、良かれ悪しかれ一瞬にして脳裏に浮かぶわけです。それは、意識するまでもないことです。

 ところが、専門外の理科の問題集に取り組むことになったわけですが、果たしておまえに、理科に関する豊富な知識と指導上の経験・技術、多種多様なノウハウ、そして市販の問題集には類を見ない独自の問題集を作りえるのか?というのが、読者の方にとっての大きな疑念でしょうし、作る側にとっても煩悶することとなります。

 実はいまから14,5年前にもなるでしょうか、細かな経緯は忘れましたが必要に迫られて、2年ほど理科を教えたことがあるのです。それも中3生で、受験指導中心の理科を。もちろん教えるわけですから、生徒の知識量の4,5倍は最低持っていなければなりません。また、知識が教える技術に比例するわけではありませんから、そして何よりも成績と実力をあげていくことが使命ですから、自らは相当の復習と知識の詰め直しとその確認を行い、生徒に対しては学習上のコツと理解の補強を、ノートまとめを通して細かく指導しました。

 少なくともその経験と知識、またノートの資料やさまざまな材料がなければ、とても理科の問題集を手がける気は起きなかったでしょう。まったく無からは、何事も創れませんから。

 ところで、問題集作成にあたって何が必要かといえば、わたしの眼では次の5点に集約されます。

1.その教科に対する豊富で的確な知識。
2.生徒の学力の度合いと勉強のしかたの実態の把握。
3.他の問題集にはない独自性と、実力を上げるためのさまざまな工夫とその
  視点(もちろんこれには入試情報とその分析を含む)。
4.問題構成と編成における知恵、また問題集を作り上げる技術的なノウハウ。
5.地味で粘り強い根気と、喧しさを追い払った完成に至る継続への執念。

 もし考えるならば、1番の、その教科に対する豊富で的確な知識、そしてあらゆる解法と説明等に関する熟知が一番重要だと、普通には想われるかもしれませんが、実はそうでもない。たしかに必要不可欠なものですが、それだけではまったく問題集は作れません。学校や塾の先生としてあるいは家庭教師として、他人に教えることはできたとしても(これは揶揄ではありませんから、誤解なきよう)。

 いいたきことは、5分の1の要素に過ぎないということです。なるほどそんなものか、2番、3番、4番も必要なのか・・・、けれども、5番なんか全然視点が違うではないか、ということになりますが、実はそうでもありません。翻っていえば、勉強する側の生徒で考えてみてください。目に見えぬ基盤として、その大切さはすぐにもわかるかと思います。

 話しの内容がなにやら作る側の弁明を聞いているようで、ちっとも面白くないぞ、参考にもならないぞ、という声が聞こえてきそうですが、この1番の知識に関する、その理解と持続性の関連について、フォーカスをあて次回、もう少し言及していきたいと思っております。