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  高校入試でターイセツなこと、って何だ?!
§81 できる子とできない子についての、一分析 
<中3にならねば、・・・>

 うーん、ちと過激な題名になってしまったな。できる子とは、一体どの辺を指すのか、その基準からして曖昧なわけで、またできない子の尻を叩くつもりも特別ないし、ましてやできる子を褒める意図も今回持ち合わせていない。
 
 できる子とできない子、という言葉からして、喋るぶんにはなんら抵抗感はないが、こうして文で書くと、重ぐるしく、嫌味を放つ要素を持ち、また大いに誤解を招く懼れのある言葉で、そこらあたりがこの言葉を使いたくない理由だが、かといって、成績のいい生徒、好ましくない生徒では、今回、も一つピンと来ないので、このまま使わせてもらいます。

 まあ両者に適当に距離を置きながら、その上を目指す何らかのサジェスチョンを一つでも述べられることが出来れば、と思いつつ辛口、毒舌混じりで書いてみます。

 はっきり申し上げて、できる子とは、中3になってみなければわからないのです。もちろん公立中学生に関してですが、少なくとも私の場合にはそうです。
(まあそれは、狭い意味の学習面でのことですが。)

 また反対の、できない子とは、これは学年を問わず、教えて1ヶ月もすれば、悲しいかな、もうとてつもなくわかり過ぎるほどわかります。入塾テストの結果で予め客観的にわかってるわけですが、それはあくまでこちらの頭の中のことで、実際に教え出すと、その逐一が圧倒的に目に見えてきて、ゴール(公立高校合格)まで無事に辿り着けるか、より正確にいうと、辿りつけさせること
ができるか、その道程を想像すると、気が遠くなります。

 さあ、ついて来い、としばらく歩いて後ろを振り返ると、当人は道端にぶっ倒れているわけですから。目を光らせて観ていても、小さな石があるとほぼ間違いなく蹴躓くのですから、堪ったものではありません。前もって、ここは危ないから気をつけるように、と注意していても、それをふんふん聞いてるのに、その直後に蹴躓く。何でなんでしょうね、これは? これを引っ張っていくのは、ほんとに並大抵ではありません。

 では、その両者の中間、普通の成績の子とは、一体どういうレベルなんでしょうか? これも一見ありふれていてよく使われる言葉だけど、実はほんとは抽象的で、実態がよく見えない、捉えどころがない曖昧な言葉ですね。

 このゾーンの生徒は、我が塾なんかは当然多いのだけど(下は偏差値38(うーん、わけわかんないぞ)から、上は68,9まで、幅広くぱらぱらいますが)、教えていて、敢えて誤解を顧みず心声にいつわりなく言わせてもらえれば、普通の出来の子とは、できない子に入るぞ、という実感を深く、痛切に抱かされることがとても多いのです。最近、とみに感じます。それは近年の紛れもない生徒の学力低下という、深刻な事実と符応しますが。

 前にも一度書きましたが、「2:6:2 」という、一つの尺度で測るのをお許しいただければ、これは何も勉強だけではなく、スポーツも仕事も趣味もあるゆる範疇の事象、場面にも大雑把に当て嵌まることですが、その割合が「できる・ふつう・できない」に相応するとして、ここ勉強の分野に措いても、まさしくその目で見ることが出来ます。

 別にそんなふうに観ないでよいじゃないか、という意見もありましょうが、現実は教育的建前とは大きく異なり、もっと過酷でシビア―なものです。内申書の10段階評価(or 5段階評価)があるではありませんか。まあそれはさておき、また無限の可能性という甘い言葉もさておき、この6の部分に中る普通の子は、教えていてですよ、二者択一的な粗い言いかたですが、できない子とそんなに変わりはないぞ、多少はましなだけだ、という感懐を持たざるを得ません。つまり言い換えれば、今の公立中学生の8割の生徒は、どうも根本的に勉強そのものとそのしかたが、本当にはわかっていないあやふやな存在である気がします。

 そんなこと十二分にわかってるよ、という人もいれば、へー、そんなものかな、と思われる方もいるかもしれません。実はこのことをくもりもなくはっきり認識するのに、20年近くかかったのですから、私も相当鈍い理想主義者(?)なのかも知れません。

 では残りの2に中る生徒は、できる子なのかといえば、一概にそうとは言えません。ただ教えたことをわりかし忠実に守るというか、吸収する力がある生徒とはいえます。しかし、それ以上であることは少ない。どういうことかというと、プラスαがないのです。余分な力、とでも言っていいかも知れません。実は教える側からいえば、これが一番欲しいのですが、また心密かに期待するのですが、現実はそう甘くはない。

 もう少し具体的にいうと、吸収する力はあるが、それを活かす力に欠けている場合が多いということ。つまり、応用力ですね。また、現実の怖いところは、このゾーンの生徒でも忘れる力(?)も結構甚だしいものがある、ということです。最初に書きました、できる子とは、中3になってみなければわからないのです、というのは、そういう意味です。

 1,2年の折には定期テストの成績が90点前後で、まあ500点満点では少なくとも400点以上は取っている、またもっとよくて450点近く取っている。しかし、実力テストになると350点前後しか取れない、というのはこれです。理科と社会については特に厳しいものがあるでしょう。その原因は、本当の力は備わっていなかったということですね。浅い勉強と狭い知識しかない為、本当に深く
理解しまた確実に覚えていないため、基本的で容易な問題ですら、忘れてしまう生徒は、2に中る生徒の中に多くいます。

 また中3学習を進めて行って、数学にしても英語にしても、今までに習った総合力が問われる問題、基本の活用が問われる問題、例えば数学なんかで関数の問題に図形が融合して、図形の知識と直観力が問われる問題、なんかになると、手も足もでない生徒が多数いるという事実。

 このことは識っておいて損ではありませんね。別に役に立つ肯定的な情報ではないけど、また耳障りのよい意見ではありませんが、尠なくともあとから気付いて、あの時ああしておけば良かった、もっと深く勉強しておけば良かったってことがないよう、また更に、定期テストだけに判断を頼り、正確な実力を見損なわないよう、心掛けたいものです。

 しかし、このことが見えていない生徒、父兄、先生も大勢います。わたしはこの2に中る生徒を更に、「2:6:2 」に別けて観ているのですが、基本を吸収し、且つそれを活かし、また習った重要なものは大体覚えてるよ、という生徒は、「2」の中の「2」ぐらいです。これを単純計算すると、4%になるわけですが、はて、どうでしょうか?

 今回は公立中学生の学力の分析といいますか、ある一つの見方を書きました。
 それだけに留め置きます。