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  高校入試でターイセツなこと、って何だ?!
§244 やる気について
<ただ「習慣」である>

 今回は、「やる気」について・・・。

 これは色気を出して論理的に書こうなんて気をもし起こすと、とんでもない
迷路に嵌りこみそうな話題であると感じています。かといって、そぞろ気が向
くまま書こうものなら、元来気は長いほうではないので、「やる気がなければ、
やめておけっ!」って、叱阿する言葉がつい出てくるであろうし、話題の展開
もヘチマもなくなるのがおちであります。だから、そのあいだを往くことにする・・・。

 英語のmotivateは、「人に動機を与える、学習意欲をそそる、〜にやる気を
起こさせる」という動詞形ですが、その名詞、モチベーション(motivation)
とはご存知のように、「動機づけ・意欲・やる気」という意味になります。英
語で表現すると、なにか人為的にまた作為的に、ある方法や手段によって、
「人にやる気を起こさせる」ことがなんでも可能なように思わせがちなのです
が、そしてその理論や実践は、経営学的にさまざまに構築され運用されている
のも事実なのでしょうが、しかし、それが仕事の場ではなく勉強の場となると、
さてどうなんだろうか?―――

 英語やカタカナで表記するとある種、情念が入り込まないというか軽さがあ
り、それ以上思考が進まない面があります(うーん、わたしだけか?・・・)。
一方、「やる気」なんて日本語になると、もうもろに自分の内部にある感情と
気分ですから、象はないけれどいまにもすぐそれとコンタクトとれそうにも思
えます。が、しかし・・・。

・「やる気を出すにはどすればいいですか?」
・「今、全然やる気が出ません。もうすぐテストがあるんですがすぐにやる気
 が出る方法はないでしょうか?」
・「どう頑張ればいいのか、何をしたらいいのか、まったくわからず自分でも
 困っています。勉強をする気になれません。何もしたくありません。でも何
 かやる気がでるような良い方法はありませんでしょうか」

 このような生徒の質問がネット上に載せられると、それに対して、世間には
奇特な方がずいぶん多くおられて、まことに丁寧というか親切な回答がされて
いるのに出くわします。それが飽きもせず繰り返されている現象に、わたしは
閉口していまはもう見ないようにしています。ネット上の「質問」という名の
得たいの知れぬものは、パンドラの匣をあけてしまったかのように、もうなん
でもありですね。

 もちろんこの感懐は少数の者が抱くでものであろうし、それらの応答を排斥
する意図はありません。ただ、否定はしたい気分ではある。こういう個人の感
情に属するものに、それも恣意的な気分に属するものまでに、見境なく答えや
方法を質問する、そのあまりにも度が過ぎた依存心と幼稚さは、いったいどう
やって生まれたんだろう?と、首を傾げたくなります。そしてこのような埒も
ない質問にいちいちていねいに応える大人がいるいまの日本社会の平和ボケに
も、なにやら少しうすら寒いものを感じてしまう。

 新聞の塾の広告のフレーズ――「やる気と集中力」を育てる。

 ほんとによく見かけるフレーズだが、ここにも「やる気」がなんの疑いもな
く収まっていて、しかも「やる気と集中力」の2つを“育てる”というんだか
ら、やる気と集中力のない、または乏しい生徒を持つ親御さんにはまことに有
難いお言葉に響くかも知れないけれど、果たしてどれだけ信用していいもので
あろうか? わたしの場合、「やる気と集中力」をなんとか懸命に工夫して
「その場だけ」なら持たすことはできても、“育てる”なんてことは口が裂け
てもいえない言葉なのだが。

 ちょっと考えればわかるではないか。小学校でまた中学校のこれまでで、ス
ポーツではなくあくまで勉強に限定しますが、子供に「やる気と集中力を育て
てもらった」とたしかに実感している、または感謝している教師にどれほどの
方が巡り合ったのであろうか? 10人に1人もいるのだろうか? いやいや50
人に1人もいないのではないか・・・。その反対の良からぬ事例は昨今のニュ
ースや新聞で数多あるわけだけど、それはさておき、なら塾の先生にそれを求
めることに一体なんの根拠があるのだろうか? 

「〜を育てる」ということは、その育ったところまででいいから最低身につけ
ていなければならないと思うのだが、塾で勉強のしかたと中身は教わったとし
て、さらに平行して生徒本人に、感情に属しかつ恣意的な気分でもある「やる
気と集中力」を果たしてどれだけ身につけさせているのか、家でのその学習の
後姿から視てみればいいかと思いますね。数は少ないですが、もともと「やる
気と集中力」をもっている子は、それは他人の力によって育てられたものでは
おそらくないでしょう。

 もしわたしが、勉強に対して「やる気が出る方法はないでしょうか?」
なんて質問を受ければ、やる気のない気分、つまり返答したくない気分になん
とも襲われて後退りしたくなってしまいますが、それでも万が一応えねばなら
ないことになったなら、逆にこうひとつ問いたい。

「やる気が出れば、勉強はスムーズに進むのか?!」と。

 さて、ここからわたしが言いたいこと(ここから読んでいただいてもいいく
らい。)

 やる気が出てからようやく勉強ができると、多くの生徒は考えているようで
すが、つまり、自分のなかにやる気が出てくるのを当てにして待っているわけ
ですが、これほど当てにないならないものはないでしょう! なぜならそれは、
箍の外れた我儘な気分に過ぎないからですね。勉強は「気分」でやるものでは
ない! ただ「習慣」でやるものだ。と、思います。

 自分のなかにある、とりとめもない気分に甘えて流されるのではなく、昨日
したように、今日も同じようにするだけ。とり立てて考えるまでもなく、また
身構えて勉強に入っていくのではなく、ただただ習慣でやるものである。

 やる気があろうがなかろうが、そんなことは関係ない。知ったことではない。
勉強に入っていけば、あとからやる気がじわっと出てくることは、けっこうあ
るものです。また最初からやる気が大いにある場合にでも、却ってそれがギク
シャクと空回りして、思い通りに進まず、つんのめる場合もあるではありませ
んか。

 勉強をこなす量も実は、その中身をみると、たとえば2時間やったとして、
前半の元気な1時間と後半のやや疲れたように感じる1時間を較べれば、それは
集中力の度合いにもよるのだけど、得てして後半の疲れた1時間の内容のほう
が密度が濃い場合がよくあるでしょう。

 もっといえば、3時間したあと、もういい、今日のノルマはじゅうぶん済ん
だと感じたあとに、なんの弾みかさらに30分執念深く(?)粘り強く勉強した
結果に、疲労で雑になるかと思えば、逆に緻密な内容になっていることも意外
と多いものである。これらは、やる気から生まれるものではない。強いていえ
ば、ただ「習慣」である。そして「反復」である。

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 上の内容とはかなり次元も角度・掘り下げ方も違うのだけど、この反復につ
いて、参考になるかも知れませんので哲学的考察を下に書き記しておきます。

 思想家、吉本隆明の言葉より。(ただし、実際のキルケゴールの使っている
「反復」と吉本隆明が解釈している「反復」とは、わたしが知る限りはだいぶ
異なっているのだけど、あくまで吉本隆明の表現が気に入っているもので。)


・キルケゴールの言葉でいえば、「反復というのが人間の本性に適してるとい
うか、人間の本性は反復なんだ、あるいは人間の生涯は反復なんだということ
でしょうか。時間は自然に過去から未来へと流れていくけど、人間の精神の時
間はかならず反復が繰り返されていく、人間の精神のもっている生涯のあり方
はそうなってる」

・「人間の精神的な本性は反復で、ただ、時間は過去から未来へと流れていく
けども、人間の精神は昨日あったことをまた明日、明後日にまたやるんだ。少
しずつは違うかもしれないけれども、反復です」