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  高校入試でターイセツなこと、って何だ?!
§232 問題集を選択するその発想 VOL.4
<計算>

 小学生用の問題集を選択するその発想そのものへの問題提起として、算数の「基本学力」に関してその学習の中身を深める作業のあり方に焦点をあて、これまで3回述べてきました。算数の内容のなかで最も重要な位置を占める「図形」に触れ、次に「文章題」についても述べました。残すところは「計算(比などの数量関係を含めて)」です。

 しかし今回は、その対象が「計算」であり、たかだか計算じゃないか、そんなもの自分でなんとかしておけよ、と肚のなかでは半分思っているのですが、またわたしなんかがああだこうだと説明することでもなかろうし、そもそも「計算」に関して、一体なにを有益な情報として発信できるんだと、話題の設定そのものからしておかしく無理があるようにも思うのですが、構成での行き掛かり上まあ仕方なく(なんと、うしろ向きな発言よ・・・)書くことを続けてみます。

 たかだか計算じゃないかと書きましたが、その真意はこうです。
 算数(or数学)の勉強のなかで計算を軽んじているのではなく、その反対にとっても大事な力であること、中学、高校へ進んで数学を勉強すればさらに、その力の出来不出来が抜き差しならぬほど全体に影響を及ぼすものであることは、当然わたしも、十分認識しています。そうではなく、計算の上に、あるいは計算を土台にしてもっと大事なものがあるでしょう? 中学段階では圧倒的な位置を占める図形と関数(小学校ではまだわからないところですが)が。高校になればさらに拡がりますね。それらのバランスと難易度からいえば、計算ぐらいは最低自分でなんとかしておくべきものだ、という意味で書いています。

 さらにもう1点。小学校でも中学校でも計算分野には随分と時間をかけ、ていねいに教えているように思えるけれど、わたしの目からすればその教え方には合点がいかない部分があるし、やっている計算の問題レベルの低さにはあきれるし、演習量にも大いに疑念を感じているなど、小学校の間にもうちーっとまともな計算の指導と訓練をしろよ、という思いの裏返しでもあります。

 図形や文章題を満足に教えられないなら、せめて小学校の間に「計算」だけはその基礎を徹底して叩き込んでおけと思うのですが、これがさにあらん、いまの公立中学1年生の持っている計算力とその姿には、錬磨された形跡をほとんど感じない。

 計算ミスはしかたがないにしても、乗除先行の基本の規則がわかっていなかったり、( )の付いた式の計算ルールも身についていなかったり、ほんのちょっとだけややこしい分数の計算となると式転換を守らず自分流にいい加減に計算したり、さらに単純な約分もれがあるは少数の分数への転換が曖昧だったりと、さらにさらに、十分スペースは取ってあるのにそこに計算の式転換を書かず計算問題の上にちょこちょこっと小さな字で計算して答だけを書いたり、計算式を消しゴムで全部消してしまい、これまた答だけを書いたりと、ぱっと思い浮かぶだけでこれだけ悪い見本は挙げられる。小さなものを考えると・・・、倦むほどありますから書かないでおきます。

 理解させようとする意識が強くまたマニュアルにあまりにも凭れかかっているのかな、導入部分にかける時間がやたらと長い。理屈の説明が多くて、実践にかける時間が減っている。別な言い方をすれば、頭でっかちになり、身体で覚えこむという大事な部分がみすぼらしいのである。その結果が、上の状態のような生徒を多く輩出している原因である。

 おそらく理解させたらできるようになると、またわからない、わかりづらい部分を詳しく説明しわからせたらそれでできるようになると、さらに、なぜこうなるのかに応えて詳しくていねいに解説すれば、理解が深まり覚えることもできると、そういう認識でほとんどいるのであろう。

 小学校ではなく中学校での例で書きますが(そのほうが読まれる方にとってまだ馴染みがあるかと思いますので)、たとえば2次方程式の計算で解の公式というものを習いました。一般形のaX^2+bX+c=0(X^2:Xの2乗の意)の解は、X=−b±√b^2−4ac/2a(√b^2−4ac:√の中が、bの2乗−4ac)の公式で表せる。

「なぜ表せるのか?」という生徒側の質問、あるいは「なんでこういう形になるのか、その理由は?」という教える側の説明、このどちらのケースでもいいけれど理屈の説明があれば、理解が深まり、公式を覚えることもより容易になると思われますか? 

 これはすこしずつ等式変形を行えば導きだせますが、そんなことより実際使いこなしていなければ公式そのものですら忘れるのが、人間普通でしょう。また生徒は、公式を知ったとしても、そこから使いこなすまでさまざまに間違うわけで、それも理解不能な間違いも入れ驚くほど同じ間違いを繰り返すのが生徒の習性(?)ですから、それもこれも小学時代の計算演習の絶対量の不足、その計算力のお粗末さに由来するのですが、まあ注意点も含めとことん教えていかねばならないのが平均の姿です。

 それも次に単元に入れば、また2,3ヶ月もすれば、公式の一部が曖昧になって使えない生徒が出てくるのですから、唖然としつつもまた教えるのが普通です。これで済めば、まだ上等のほうか。あと2,3回はかかる生徒もいる。このような生徒の前には、たった1回の理屈は無力ですし、キレイな導入部分の説明も、大半の生徒にとっては見かけ以上に実はわかっていないし、役にも立っていないとまで言い切りたいほどである。

 計算って、思考力を使う問題ではないのである。目的でもない。計算は単に計算であり、手段(or道具)である。複雑な計算になると式転換のなかで多少は頭と注意力を要する部分がその作業ベースの底にはあるけれど、それとて豊富な訓練で手段に昇華すべきものである。

 数学でも応用問題を教えて、ほんとうに理解してついて来れる生徒は、計算力のしっかりした生徒であり、教えた基本に忠実な計算をする。それゆえ安心して教えることができる。それに反して、たとえ正解を出していても、手抜きの計算をしていたり、自己流の適当な計算しかしない生徒というものは、基本がなぜ大切なのか、その意味がわかっていないものだから応用への段取りを踏んだ思考がまずできない。

 この計算の悪い癖を持った生徒やあやふやな式のまま計算を進める生徒は、わたしの目からすると3人に1人はいるものですが、小学算数の段階でその芽が出たときは間髪いれず直されなければものを、それが目に入らないのかまた入っても放置しているのか、そのまま中学へ持ち越してくる。甚だ拙い指導であるといえる。

 また、もうひとつ指摘しておきたい。
 それは計算スピードである。速ければいいというものでもないが、そこそこの計算スピードは要るのである。ちょっと控え目な表現で喩えてみる。時速60キロで飛ばせといっているのではない。時速30キロで走ればいいのである。しかしそのためには、時速50キロで走れる性能を持っていなければならないだろう。それが目一杯出して、時速30キロにしかなれない生徒がまあ多いこと。これでは周りに気を回すゆとりなど持てないし、制御もできない。

 これも何が原因かはもう書くまでもありませんね。またどうしなければならないかもわかるでしょう。どうぞ、小学校のうちに、とくに5,6年生でしっかり計算を叩き込んでもらいたいと思います。

 計算といえばすぐに少数や分数の計算などが頭に思い浮かぶかと思いますが、それだけはありませんね。いまの教科書に基準を合わせて考えると、その質の低さばかりか幅の広がりにも欠けます。たとえば比、内項の積は外項の積に等しい、を用いる計算方法などは、基礎の解きかた以外に知っておくべきでしょうし、むしろそれをどんどん使う演習をしておくことが望まれます。なぜなら、中学では数学ばかりか理科でも使う大事なものですから。

 さらに入試図形の問題では、連比の知識(2つの比から連比を求める)などは当然知っていて使わねばならないものですが、中3でも知らない生徒が多い。線分図を用いて2つの比を統一するなんて解法は、まさに計算の一部であり、それが説明してもよくわからない、わかったとしても十分ではない、そんな力ではまともに入試の図形問題などに立ち向かえるはずもありません。これなんかも小学時に習得しておく内容です。

 またもっと基本的な数字への感覚、たとえば225は15の2乗の数であるという認識、375は25で割れるという感覚、180は15で割れば12であるという咄嗟の計算など、平方根や因数分解などでは大事となりますが、もたもたとして計算が捗らない生徒がほんとに多い。こういったことも、小学時に単純で豊富な訓練を通して、必ず身につけ暗記しておくべき数字への感覚でしょう。

 それらが問題集を通して勉強できるのか、また新たに問題集を追加し勉強して生徒が学んでいけるのか、そこがポイントでしょうし、考えておくべき視点かと思います。


 長々書いてきました。小学算数においてVOL.2では図形、VOL.3では文章題、VOL.4では計算に焦点をあてて、問題集を選択するその発想、での問題点と課題に関し述べてきました。いくらかでも参考にできる点があれば、さいわいです。