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  高校入試でターイセツなこと、って何だ?!
§82 英語について思うことVOL.7
<新教科書の内容>

 さて今回、新指導要領に基づく英語の教科書について、思うところを少し述べてみたい。

 憂憤を吐き出せば、次のようになるか。
「何なんだ、これ? 一体どうしたというんだよ、この文法構成と内容は?!」ということになります。改悪そのものです。前回の教科書改訂にも少々不満がありましたが、今回のは度を逸している。誰がこんな馬鹿げた内容の教科書を作ったのかは知りませんが、さらなる英語の学力低下を食い止めることが出来ず、その中心となる者の責任の所在も明らかにしないまま、数年後にはやっぱりひどかったかと、深い反省もなく軌道修正が図られるのでしょうね。

 少しずれますが、同じような例は見渡すまでもなく、一杯あるではありませんか。公立高校の紆余曲折を例にとっても、教育の平等、均等化を謳い、小学区制を取ったばかりにかつての名門高校は見るも無残なまでにそのレベルが落ち込んでしまい、その進学実績は新設の高校に負ける為体(兵庫県の話ですが、我が母校も同様の憂き目)、100年の伝統と実績もぶち壊す教育行政。

 かといえば、これではいけないあちこちの高校に理数科とか英語学科、国際学科など設けて軌道修正を図り、私立に対抗するため一部の優秀な生徒を集めようとする。そこにはかつての理念も胡散霧消して、どこにもない。また最近は、大学進学実績を標榜し重視した単位制の高校を、あまりたいした高校でなかったところに無理やり人為的に創設したりする。そのころころ変わる施策は一体何なんでしょうね?!

 東京では都立日比谷高校、西校など進学指導重点校として復活し、他学区限度枠の緩和、学力検査・調査書の比重変更、学力検査問題の自校作成などが、任意に推し進められていく。それは他府県も大同小異。また、ほんとにわけのわからない理念的で絵空事の「絶対評価」なる基準も、矛盾を多いに孕み、その実効性はほぼ数年で崩れていくと思いますが、ちょっと普通に考えただけで、それは言葉でうまく表現せずとも、おかしい、と論理も要らず気づく筈です。

 新指導要領なる教育内容も、はやその教科書は縮小した内容を次の学年に限っては一部取り入れてもよいという緩和がなされ、まったく何を考えているのやら首尾一貫しない、場当たり的で規律も明確な方向性も持たない教育行政と指針が、現在の実情です。私達にとって大切なことは、局部的な事象にあまりにも悩んだり右顧左眄すべきでない、また振り回されてはいけないということでしょう。

 そういう視点から観ると、今回の英語の教科書の作りには、また、絶対に信じるものではあらず、また重きを置くに足るものではない、とあえて言いたい。

 なぜにかくもこのようなことを書いたか、その理由を具体的に何点か述べてみます。

 これはある英語の新教科書の中学2年生の内容ですが、全部で7章構成。
1章(be 動詞の過去形・過去進行形・look+形容詞)、2章(未来形(be going to)
・二重目的語・call・May I 〜?)、3章(不定詞<名詞的用法・副詞的用法>)、
4章(助動詞will・must・have to)、5章(接続詞(if/when/because/that)・
Shall we 〜?)、6章(There is 〜構文・動名詞)、7章(比較)

 従来と内容的に変更があった点を先に書きますと、不規則動詞の過去形が中1に移行したこと、受動態が中3に移行したこと、中3のthat 節が中2に移行したこと、などが文法的に大きなところで、細かい点は省きます。

 移行の点で不可思議に思い且つ納得がいかないのは、不規則動詞の過去形が中1に移行したこと、です。ずっと前は、「過去形」というのは中2の学習のスタートでした。過去形を通じて、中1の現在形の文法の総復習が出来たのです。それが「規則動詞の過去形」についてだけ、中1の最後に習うことに変わり、今回はさらに「不規則動詞の過去形」までが中1範囲となりました。

 うーむ、と唸らざるを得ません。過去形は本腰を入れて教えなければならないからです。現在の公立中学の生徒はですね、それは偏差値で下は40から上は65ぐらいまでを念頭に措いて話していますが、簡単な基本でもそれを繰り返し繰り返し説明しなければ、そして問題演習をしなければ、出来ないのが殆どです。ひどい場合は、説明し、ここはミスをするところだから注意してやりなさいと、くどく説明し舌の根が乾かないうちに、即座にその間違いを平気な顔してやらかします。まったく日本語が通じていない。わかっていない。

 わからすのにかなりエネルギーを費やさなければ、ほんとうには出来るようにはならないのです。また、たとえ定期テストで90点取れていても、その力が実力と直結しているケースは3人に1人もいないでしょう。狭い範囲のやさしい問題では、表面的な丸暗記の勉強で対応できても、時間が経てばそして習った単元が増えれば、実力もなく文法の基本的なことですら実は理解していなかったというケースは、もう驚くほどあまたある事例ですね。

 そういう意味でも過去形の文法は、現在形で習った文法のすべてを復習することに繋がり、且つわかっていなかったところを掘り起こし、忘れた(ほんとに唖然とするくらい多いよ)事項のすべてを再度じっくり勉強できる単元です。よって、時間もたっぷりかけて演習すべき内容ですし、不規則動詞は過去形のスペル1つ取っても細々とエネルギーをかけて覚えなければなりません。それを中1の最後に持ってきてちょこまかと表面的にやるのは、生徒の能力からみて、途方もなく危険なことだと考えています。これは内容が減ったことに逆行している作りです。

(ゆえに、私の問題集は、中2で不規則動詞の徹底した演習と中1文法のすべてを織り交ぜ、総復習をかねて作成してあります。また、be 動詞の過去形、過去進行形とまとめて勉強するのが基本だと考えています。)

 次の問題点ですが、2章で未来形のbe going to を習い(何と、will からではなく、be going to から?!)、離れて4章でwill を勉強する。この意図は一体何か? また助動詞としては、2章でMay I 〜?、Could you 〜?を習い、4章でmust,have to を、5章でWould you like to 〜?とShall we 〜?を習う。ばらばらに学習する形だ。生徒は混乱する、というか、系統だてていないから、全体をまとめて理解できないし、知識の断裂が生じる生徒が多数出てくるはずだ。

 更に驚くのは、早くも2章で、未来形とは何ら関係のない二重目的語を勉強するということ。更にcall 1語だけを取り、第5文型を教える中途半端。何の深みも発展性もない。そして上にも書いたMay I 〜?、Could you 〜?を会話表現として、単独で取り扱い、助動詞の基本であるwill,may,must,shall の基本の使い方を飛ばして教えることになる。もう、あっちを少しこっちを少しと文法的にはばらばらである。

 そして更に信じられないのが、3章で早くも不定詞を取り扱っているということ。メルマガで不定詞がわからない生徒に説明したことを繰り返すようだが、以下の如く。

 「不定詞」なる文法は、今までにやってきた文法と少し毛色が違う。つまり、文の骨格になる基本中の基本の文法から、「表現力を増やす部分」を突然習う形になるからだ。それは木で譬えると、幹と根にあたる部分が十分に育っていないのに、木の枝葉にあたる部分を早くも学習する、ということを意味する。

 極めてアンバランスだ。現在形、過去形はすんだとして、木の幹と根になる、まだ重要な部分の未来形は、中途半端な状態、時制の骨格は完成せず、更にその延長でとことん時間をかけて勉強したほうが理解しやすい助動詞も、上で述べた如く寸断されながらの学習だ。根と幹の成長を図らないでまた力を十分につけないまま、枝をぶら下げようとしているわけで、そのような木がどうなるか、容易に想像できるでしょう。

 またほとほと呆れることにはその不定詞も、中2で学習するのは名詞的用法・副詞的用法だけで、残り1つの形容詞的用法は中3の学習になっているということ。3用法を学習して不定詞全体がはっきり掴めるのに、これまた何を考えて教科書作成しているのか、その意図は不明、推測するのも馬鹿らしい。

 更に付け加えると、不定詞と動名詞は兄弟みたいなものだが、従来は不定詞3用法を習えば、その関連で直ぐに動名詞に移るのが決まりごとみたいになっていた。それには大きな意味があるわけで、もうここでは書かないが、現教科書ではこれまた見事に(?)分離、3章と6章に隔てられている。

 徐々に基礎を固め、積み上げ、もうこの辺で少し枝葉を伸ばしていいだろうという配慮と構成があってもいいのだが、まったくそれを感じない。6章の「There is 〜構文」も文法としては結構基本なのだが(以前は中1学習でしたね)、どういう具合か後回し、それより前に「接続詞」が配されており、これなんかは表現力を拡げるものであり、そう難しいものではないんだけど、英作では混乱をきたし、訳の手順も飲み込めない生徒は予想以上に多い。

 ああ、なるほどね、というのは最後の「比較」だけ。全体にぱらぱら会話表現を増やすのはまだ承服できるが、くだけた表現では意外と高校生も知らない表現が散見され、全体の印象は、生徒の現実を知らない、また生徒をみつめていない勝手な作り、ということになるだろうか。これでは学ぶ生徒も教える先生も大変だろう。

 中1の教科書に触れればまたまた数々の問題点があり、とてもここで言及する気になれませんが(また、どこかの機会にでも)、最早、教科書に重きを置いた一辺倒な学習指導と学校の勉強だけでは、満足な学力を得られることは殆ど不可能に近い、と断言せざるを得ません。皆様にとっては、何らかの予防措置が必要になってくるでしょうね。