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  高校入試でターイセツなこと、って何だ?!
§229 中1英語の成績のみかたについて<改訂>
<この2学期が大切>

 あっ、それはちょっとヤバイね・・・、と思うことがある。多々ある。経験上、そして性格上、また職業柄、そのことがよく見えるわけだけど、勉強のしかたなんて、そもそも秘密めいたものがあるわけではなし、魅力的な特効薬があるわけでもない。時間をある程度かけ、自分のそのときどきの気分に流されることなく、いつも一定の気持を保ちつつ、ていねいに勉強していけばいいのである。

 学習した基礎的事項と知識を、まず確実に自分のものに修める、そのためには、もうくどいほど書いているのだけど、「わかる」から「できる」の状態・段階まで持って行く、その勉強の中身の感触と意識が、しっかり生徒に備わっていればいいことなのだ。

 これを有している生徒は自分でじゅうぶんに勉強していけるだろうし、塾に通っていてもそこそこいい成績を取るか、または次第に伸びていくだろう。が、その割合は、いまの公立中学生の場合、残念ながら10人に1人がいいとこであろう。あとの生徒の半数は、大雑把な括りだけれど、勉強が「わかる」段階で止まっているというか、わかることが勉強の大きな目標になっているようで、またそこで自己充足してしまっている。

 その先が、無い。これは、大きな勘違いである。そこから先こそが、ほんとうの勉強が始まるのである。他人事ではない、自分に対する自分の勉強が始まるのである。(ただし10人のなかの1人とて、厳密に観ればまだまだいろいろ不備なところ、甘いなあという点は随所にあるのだけれど、ここでは省く。)

 ところがこの勘違いが、なかなか本人にはわからない。勘違いならその点をしっかり正しく指摘すれば直せるだろうと思われる方もいるでしょうが、とんでもない。ケアレスミスを注意して減らしましょうと、口でいくらいっても実際にはほとんど直せないでいるのと同じで、そう単純には事は解決しやしない。まるで徒手空拳、無為無策のまま、その場に停滞したままなのだ。ましてや一般に、また客観的にそこそこいい点数と思える点を取って、自分でもその成績に満足しているのなら、まあ、ほとんどこれらの指摘は、聞く耳を持たないで
しょう。

 たいていはテストの点数が下がってきて、それもいままでどおりテスト勉強をきとんとしているのに結果が、自分の予想よりかなり悪くなってようやくはじめて、どこか勘違いしていた、間違っていたことに気づくことになる。あれっ、おかしいなあ・・・、と。しかし、それがどこかは、この時点になってもまだ本人にはよーくわからないのだ。また実力テストなんかで、これまで取ってきていた点数との落差、そのあまりのギャップに驚いて、ようやくいままでの自分の勉強の在り方に、不安と問題点があるのに気づいたりするケースも結構多いであろう。

 このことは、自分で勉強している生徒だけではなく、塾に通っている生徒も当然あて嵌まる。まあそれは、科目によっても症状・結果はまちまちだし、本人の「自覚の温度差」によっても違う。気づく時期も、中1の後半からの場合もあれば中2になってわかることもあり、さらには中3になって夏休みあたりでようやく自分の正確な実力に気づいたり、いままでの勉強の在りかたでとんでもない勘違いがあったことに気づいたりと、ほんとさまざまですが。

 自分自身の学習の浅さに気づいたときは、もうあちこちにヒドイ穴が、ぼろぼろに大きな穴、小さな穴が空いている状態なんだけど、まあそこからやり直していくかない。しかし、できることなら、それはちょっとヤバイね、その点数と学習のしかたは、と判断できた時点から、できるだけ早く手を打つに越したことはない。

 そんな例をここでは英語に限定して、また中1生を対象にして挙げてみる。

 1学期の英語の定期テストの結果――中間テスト93点 期末テスト82点だったとする。これは、非常に多いケースだといえる。点数の下がり具合も普通である。これで仮に成績の評価が4とすると、普通の力の生徒は、まずまずだと思うであろうし、英語に関してひとまず安心する親も多いでしょう。

 塾に通っていてその面談の折、講師から、
「英語は、まあまあの成績ですね。期末テストは少し成績が下がりましたが、その内容はおおよそ理解できていますし、些細なミスで点数を落としているだけです。まだ1年の1学期ですから大丈夫、これをなくしていけるようもっと注意して、次から頑張りましょう」 なんて、気楽なこと(励ましなんでしょうが)を言われれば、そんなものかと納得、安心もしてしまう。

 が、果たしてそうか?! 現在の公立中学の学習内容は、1990年以前と較べれば質的にも量的にも目を覆いたくなるほど痩細って見劣りはするし、またそのレベルは劣化しているといわざるを得ない。

 車で市街地を時速50キロで走っているのを普通の感覚とするなら、数学や英語の授業の速度、特に中1に1学期のそれは、とろとろと時速10キロかと思えるほどのろいスピードであり、せいぜい速くても時速20キロ以下の進み方である。物事の習い初めがいかに大事でありゆっくりやることが大切といっても、限度があるでしょう。いい加減イライラする、不快に感じるとろい進度です。

 速度ばかりかその学習の中身も当然多くはありませんから、いまの公立中学の1学期のテストいうものは、次の言い方は語弊を招くところではありますが、はっきりいってお飾りの程度だと認識している。もちろん点数がいいのは喜ばしいことです。中間も期末も90点以上取っているのはよく勉強している証拠でしょう。しかし、それは、実力とは必ずしも結びついていない。いや、そもそも現行の1学期の学習内容では、実力と呼べるだけの知識量をまだ勉強してはいません。

 それを増やし溜めていくの2学期であり、実力の伴った勉強をしてきたのかどうかがわかり、あるいは気づくのが、たいてい3学期になってからになります。つまり、2学期の学習こそが中1英語の山であり、中学3ヵ年の英語で瞰ても最初の大きな関所といえます。

 で、この2学期に「習う量」は増え、「学習する速度」も速くなる。ところが、生徒の多くは、1学期と同じ感覚で勉強するものだからじゅうぶんに理解と暗記をすべき文法が、上面だけ撫でた勉強で終わり、どんどん拡がりをみせる単語や熟語もコツコツ地道に練習して覚えるといった基本を徹底することを怠りますから、これでは英語ができるようにはならないのは理の当然でしょう。が、それでもなかに、定期テストなら範囲が狭く限定されているから、そこそこいい点数を取る生徒もいます。けれどもこのタイプの生徒は、増やし溜めるという知識の集積が想像するほどはないので、ほんとうの実力は伴ってはいません。

 この2学期、単語や熟語がどんどん拡がりをみせるのと同様、文法も本格的(?)に拡がりをみせるわけですが、ここでの生徒の理解と整理整頓する力がとんでもなく弱く、浅く、また雑なんですね。ご存知のように中1英語なんか、たいしたものではありません。習うに従って内容が難しく高度になるわけでも決してありません。ただ、基本が少し複雑になるだけです。基本の幅といったものが横に広がるにすぎません。

 少し複雑になるところを「十二分に演習する」ことです。そのなかで「ミスを出しつくし」、「それを直し」、「理解の不足を補い」、「注意点を自分の頭で考え」、そして「徹底して暗記していく」ことです。それだけのことです。ただし、このそれだけのことが、なかなかできない。こういったことが自分でするにしろ、塾で勉強するにしろ、あるいは通信添削等の教材を使った勉強にしろ、徹底してなされていないのが現実でしょう。

 それゆえこの2学期は、もうあちこちに文法の穴をあけ、それを塞ぐこともせず空けたまま、ひどければさらに大きくしつつ、またその数を増やしていくものだから、全体の平均点が下がるのはもちろん、自分の点数もいつの間にか(?)下がっているのだ。2学期の中間・期末テストが70点前後になる生徒の平均的姿がこれといえようか。「実力的」には50点前後の力しか、もはやない。

 初めに挙げた1学期の英語の点数をもう一度書いてみる。
 中間テスト93点 期末テスト82点。このあたりの生徒の8割前後はやがて、上記の点数になっていくのが、毎年毎年繰り返される典型的なパターンでしょうか。このような結果に陥らないよう、またこの貴重な時間が数ヶ月も過ぎ去ってから気づくのではなくて、予めこのようなことを知っておくことで、個々の対策と勉強に、この情報をいくらかでも役立ててほしいものです。

 あと1点、書きます。
 それは、済んでしまったことです。過ぎ去った1学期について。
「英語は、まあまあの成績ですね。期末テストは少し成績が下がりましたが、その内容はおおよそ理解できていますし、些細なミスで点数を落としているだけです。」

 認識の違いなのですが、成績が10点ほど下がった原因が「些細なミス」によるものだという見解には、甚だ疑問に感じます。「おいおい、それは違うだろうが、その些細なミスこそが本人固有の力、まぎれもない学力のひとつであろうが」と、わたしは捉えています。なぜなら、そのミスは、ふだんの学習のなかで明らかにやっているのであり、それをなくすのが勉強の一つの大きな課題であって、何も応用問題ではあるまいしほとんどすべて基本の、できて当然の内容ばかりなのですから。それを間違うのですから力が足りないだけの話で、勉強するほうも教えるほうももうちょっとちゃんとしろ、というだけのことです。この具体的ミスの例はあまりに多いので、ここでは言及しません(中1の英語関係のメルマガでかなり書いていますので)。

 問題は、それをなんらこの夏解決しないまま、おそらく2学期に突入してしまうことです。2学期の学習こそが中1英語の山、と上で指摘しましたが、実は1学期の範囲の、少ないまだまだ基本中の基本のレベルでの英語のきまりに対する理解不足と解決されないままのミスが、2学期の学習に負の力としておそらく加算されてしまうことです。

 さあて、どうするか? それは生徒自身がまず考え、気づくことでしょう。なんでもそうですが、知ることがむずかしいのではなく、知ったことを行うのがほんとうにむずかしいのですから、わたしの指摘は今回ここまでといたします。