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 HOME 中3英語実力テスト対策  入試図形問題の攻略Version5 <新版>入試理科の攻略


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 特別掲載(2026年7月5日配信のメルマガより)期間限定
 やる気について<ただ「習慣」である>

 哲学者(あるいは思想家)が書いた「幸福論」には、有名なのが三つある。フランスのアランが書いた「幸福論」、スイスのカール・ヒルティが書いた「幸福論」、そしてイギリスのバートランド・ラッセルが書いた「幸福論」の三つです。

 このなかのヒルティが書いた「幸福論」をたしか高校生の時に読んだ記憶があるのですが、とっくにその内容は頭から消えてなくなっていました。しかし最近、ネットで彼の主張が一部載っているのを見つけ、読んでるうちにあれれ?・・・、私が以前書いたブログの内容と通底しているところがあるなと感じ、下に転載させていただくことにしました。

「仕事」という言葉を「勉強」に置き換えてもらえばさいわいです。

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・やる気は「待つ」な。行動で「創り出せ」
・「今日は気分が乗らないから、明日から本気を出そう」
・「モチベーションが上がらないから動けない」

 これもまた、私たちが陥りがちな罠です。ヒルティは、仕事における最大の敵は「先延ばし」と「気分のムラ」であると見抜いていました。

 彼は「良い習慣こそが、幸福への最短ルートである」と説いています。やる気(モチベーション)という不確実な感情をアテにしてはいけません。やる気があるから行動するのではなく、四の五の言わずにまず手足を動かして働き始めるから、後から気分が乗ってくる」のが人間。

 気分がどうであれ、毎日決まった時間に机に向かい、作業を始める。意志の力ではなく、「習慣」という環境の力で自分を縛ること。この冷徹なルーティンワークこそが、気分に振り回されない「上機嫌な日歩」を自動生成する最強のシステムなのです。
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 さて、私のブログも再び載せてみます。「やる気」について書いたものです。

 これは色気を出して論理的に書こうなんて気をもし起こすと、とんでもない迷路に嵌りこみそうな話題であると感じています。かといって、そぞろ気が向くまま書こうものなら、元来気は長いほうではないので、「やる気がなければ、やめておけっ!」って、叱阿する言葉がつい出てくるであろうし、話題の展開もヘチマもなくなるのがおちであります。だから、そのあいだを往くことにする・・・。

 英語のmotivateは、「人に動機を与える、学習意欲をそそる、〜にやる気を起こさせる」という動詞形ですが、その名詞、モチベーション(motivation)とはご存知のように、「動機づけ・意欲・やる気」という意味になります。英語で表現すると、なにか人為的にまた作為的に、ある方法や手段によって、「人にやる気を起こさせる」ことがなんでも可能なように思わせがちなのですが、そしてその理論や実践は、経営学的にさまざまに構築され運用されているのも事実なのでしょうが、しかし、それが仕事の場ではなく勉強の場となると、さてどうなんだろうか?―――

 英語やカタカナで表記するとある種、情念が入り込まないというか軽さがあり、それ以上思考が進まない面があります(うーん、わたしだけか?・・・)。一方、「やる気」なんて日本語になると、もうもろに自分の内部にある感情と気分ですから、象はないけれどいまにもすぐそれとコンタクトとれそうにも思えます。が、しかし・・・。

・「やる気を出すにはどすればいいですか?」
・「今、全然やる気が出ません。もうすぐテストがあるんですがすぐにやる気が出る方法はないでしょうか?」
・「どう頑張ればいいのか、何をしたらいいのか、まったくわからず自分でも困っています。勉強をする気になれません。何もしたくありません。でも何かやる気がでるような良い方法はありませんでしょうか」

 このような生徒の質問がネット上に載せられると、それに対して、世間には奇特な方がずいぶん多くおられて、まことに丁寧というか親切な回答がされているのに出くわします。それが飽きもせず繰り返されている現象に、わたしは閉口していまはもう見ないようにしています。ネット上の「質問」という名の得たいの知れぬものはパンドラの匣をあけてしまったかのように、もうなんでもありですね。

 もちろんこの感懐は少数の者が抱くでものであろうし、それらの応答を排斥する意図はありません。ただ、否定はしたい気分ではある。こういう個人の感情に属するものに、それも恣意的な気分に属するものまでに、見境なく答えや方法を質問する、そのあまりにも度が過ぎた依存心と幼稚さは、いったいどうやって生まれたんだろう?と、首を傾げたくなります。そしてこのような埒もない質問にいちいちていねいに応える大人がいるいまの日本社会の平和ボケにも、なにやら少し食傷気味にもなります。

 新聞の塾の広告のフレーズ――「やる気と集中力」を育てる。

 ほんとによく見かけるフレーズだが、ここにも「やる気」がなんの疑いもなく収まっていて、しかも「やる気と集中力」の2つを“育てる”というんだから、やる気と集中力のない、または乏しい生徒を持つ親御さんにはまことに有難いお言葉に響くかも知れないけれど、果たしてどれだけ信用していいものであろうか? わたしの場合、「やる気と集中力」をなんとか懸命に工夫して「その場だけ」なら持たすことはできても、“育てる”なんてことは口が裂けてもいえない言葉なのだが。

 ちょっと考えればわかるではないか。小学校でまた中学校のこれまでで、スポーツではなくあくまで勉強に限定しますが、子供に「やる気と集中力を育ててもらった」とたしかに実感している、または感謝している教師にどれほどの方が巡り合ったのであろうか? 10人に1人もいるのだろうか? いやいや50人に1人もいないのではないか・・・。その反対の良からぬ事例は昨今のニュースや新聞で数多あるわけだけど、それはさておき、なら塾の先生にそれを求めることに一体なんの根拠があるのだろうか? 

「〜を育てる」ということは、その育ったところまででいいから最低身につけていなければならないと思うのだが、塾で勉強のしかたと中身は教わったとして、さらに平行して生徒本人に、感情に属しかつ恣意的な気分でもある「やる気と集中力」を果たしてどれだけ身につけさせているのか、家でのその学習の後姿から視てみればいいかと思いますね。数は少ないですが、もともと「やる気と集中力」をもっている子は、それは他人の力によって育てられたものではおそらくないでしょう。

 もしわたしが、勉強に対して「やる気が出る方法はないでしょうか?」
なんて質問を受ければ、やる気のない気分、つまり返答したくない気分になんとも襲われて後退りしたくなってしまいますが、それでも万が一応えねばならないことになったなら、逆にこうひとつ問いたい。

「やる気が出れば、勉強はスムーズに進むのか?!」と。

 さて、ここからわたしが言いたいこと(ここから読んでいただいてもいいくらい。)

 やる気が出てからようやく勉強ができると、多くの生徒は考えているようですが、つまり、自分のなかにやる気が出てくるのを当てにして待っているわけですが、これほど当てにないならないものはないでしょう! なぜならそれは、箍の外れた我儘な気分に過ぎないからですね。勉強は「気分」でやるものではない! ただ「習慣」でやるものだ。と、そう思います。

 自分のなかにある、とりとめもない気分に甘えて流されるのではなく、昨日したように、今日も同じようにするだけ。とり立てて考えるまでもなく、また身構えて勉強に入っていくのではなく、ただただ習慣でやるものである。

 やる気があろうがなかろうが、そんなことは関係ない。知ったことではない。勉強に入っていけば、あとからやる気がじわっと出てくることは、けっこうあるものです。また最初からやる気が大いにある場合にでも、却ってそれがギクシャクと空回りして、思い通りに進まず、つんのめる場合もあるではありませ
んか。

 勉強をこなす量も実は、その中身をみると、たとえば2時間やったとして、前半の元気な1時間と後半のやや疲れたように感じる1時間を較べれば、それは集中力の度合いにもよるのだけど、得てして疲れた後半の1時間の内容のほうが密度が濃い場合がよくあるでしょう。

 もっといえば、3時間したあと、もういい、今日のノルマはじゅうぶん済んだと感じたあとに、なんの弾みかさらに30分執念深く(?)粘り強く勉強した結果に、疲労で雑になるかと思えば、逆に緻密な内容になっていることも意外と多いものである。これらは、やる気から生まれるものではない。強いていえば、ただ「習慣」である。そして「反復」である。

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 上の内容とはかなり次元も角度・掘り下げ方も違うのですが、この反復について、参考になるかも知れませんので哲学的考察を下に書き記しておきます。

 思想家、吉本隆明の言葉より。(ただし、実際のキルケゴールの使っている「反復」と吉本隆明が解釈している「反復」とは、わたしが知る限りはだいぶ異なっているのだけど、あくまで吉本隆明の表現が気に入っているもので。)


・キルケゴールの言葉でいえば、「反復というのが人間の本性に適してるというか、人間の本性は反復なんだ、あるいは人間の生涯は反復なんだということでしょうか。時間は自然に過去から未来へと流れていくけど、人間の精神の時間はかならず反復が繰り返されていく、人間の精神のもっている生涯のあり方はそうなってる」

・「人間の精神的な本性は反復で、ただ、時間は過去から未来へと流れていくけども、人間の精神は昨日あったことをまた明日、明後日にまたやるんだ。少しずつは違うかもしれないけれども、反復です」

 最後に
「やる気」があるから勉強するのではなく、四の五の言わずにまず手と頭を動かして勉強し始めよ。後から気分が乗ってくる」 それが人間です。「意志の力」なんてかっこいい言葉ではなく、「習慣」という環境の力で自分を縛ること。これが大事なのではないでしょうか。


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問題集をご購入いただいた方からの声とお便りは現在560あまりあるのですが、あまりに多いのでここではそのなかから45ほど、下の区分で選び掲載しています。もしよければご覧ください。クリック

 高校入試でターイセツなこと、って何だ?!
§39定期テストの点と実力テストの点 
<定期テストの点と実力テストの点がなぜかくも違うのか?>

 中3生で話します。  (中2生生は右のブログ(NEW)のほうが向いています。)

 中3一学期の中間テストの合計点が、410点(数学91点、英語82点、国語73点、理科88点、社会76点)のA君。まあまあ頑張っている成績ですね。クラスのあるいは学年のトップ生は465点前後(中には、480点以上のケースもありますね)をとっていると想われますが、おおよそこの成績では、クラスの5,6番といったところでしょうか。
 
 もう一つ例をあげましょう。やはり中間テストで合計点が436点(数学88点、英語95点、国語82点、理科78点、社会93点)のB君。部分的に見れば課題もありますが、全体的な印象ではとてもよい成績です。クラスで3番くらいとします。本人も親御さんも他の生徒からも、また先生からもよくできる生徒と見られています。

 次に、期末テストがありました。その結果はA君、425点。B君は、440点。2人とも順調です。よく頑張っています。

 さて、夏休み明けの実力テスト(中3では、第2回かな)がありました。

 A君の結果-数学76点、英語72点、国語65点、理科80点、社会71点-合計点364点でした。
 B君の結果-数学72点、英語78点、国語66点、理科58点、社会67点-合計点341点でした。

 うん!?・・・いったい、これはどういうことでしょうか? まず浮かぶのは、夏休みの過ごし方とその勉強でしょうが、ここではその要因はあえて排除します。どちらもふつうに努力し、勉強したとします。では何故、こういうことが起こるのでしょうか。

 A君の方がB君より成績が上になってしまった。これは特殊なケースなのでしょうか? 
 いえいえ、これはよくあるケースなのです。A君も点数は下がっているのです。定期テスト(期末)から61点もダウン。B君の方はなんと99点もダウンです。

 一般に、中3ですから平均的な生徒の定期テストを350点としますと、実力テストの成績というものは、100点ダウンの250点前後になるのがふつうです。ですから、B君の99点ダウンの341点は至極当然の結果である、といえなくもありません。ただしそれは、成績中位から下位の生徒の傾向と現実であり、7割ぐらいの生徒に当て嵌まる現象です。成績上位者も確かに点数が下がるのですが、その下がり方は上になればなるほど少ないのが一般的傾向です。つまり、B君の例でいいますと、多くても50点ダウンの390点から400点ぐらいはすくなくともとっておかねば、おかしいわけです。

 B君の落胆、塞ぐ姿を想像するのは容易です。友人や親からの励ましもあるでしょう。優しい先生なら「心配するな。今度頑張ればいいから。」という言葉もあるかもしれません。本人も、こんなはずはない、たまたま体調が悪かった、あるいは時間以内に問題全部解けなかった、と自己分析してるかもしれません。

 しかし、もしそう考えているのならおかしいし、判断が間違っています。もしそう考えていないのなら、では、どう考えたのか? 塾に行ってるなら(7,8割はすくなくとも通ってますよね。)、学力テスト(模試)があるわけです。自分の学力をもうある程度知ってるはずなのです。しかしながら、塾に行っていても自分のほんとうの学力を直視していない、また認識しきれていない生徒も案外いるのです。ただ、ここでは通塾の有無は関係なしとして話を続けます。

 さて、ここに大事な何かが欠落しています・・・。
 
 ところでその前に、クラスのトップ生の成績はどうでしょうか? 気になりますよね。定期テストでは450点から470点くらいとってる生徒です(<注>ただし、この中学のテストの作りは、やや難しい目とします。わたしの問題集を利用している生徒のなかには、ほんと感心することに、平気で470点やそれ以上とっている生徒もなかにいるもので・・・)。

 中間テスト467点、期末テスト456点としましょうか。(すみません、成績上位の生徒の話ばかりになって。でも、なんらかの形で、この指摘や問題となるところが当て嵌まったり、参考にできる点があろうかと思います。)

 クラストップ生の実力テストの成績結果-数学88点、英語92点、国語80点、理科86点、社会90点-合計点436点でした。 

 適当に点をつけてるのではないですかって? はい、適当です。 実力テストの中身もレベルも知らないで、とお思いかもしれませんが、公立中学の実力テストの内容と形式は、これでも熟知してるつもりです。ひと言でいうと、これは過去の経験の寄せ集めです。特に難易な、あるいは独創的な形のテストではありませんから。20年あまりの塾直接指導の経験と分析から申し上げています。誤差は多くて5パーセント未満と思ってください。

 成績一番の生徒の成績ダウンは、25点です。なかには、通常のテストの成績よりも上の点をとる秀才も稀にいますがそれはさておき、定期テストのB君と一番の生徒の差は、期末テストで16点なのに、実力テストの差はなんと95点にもなります。すごい差です。

 ここでひとつ、はっきりしましたね。ふだん見えてるようで見えていないものが。
 ---そうです、実力です。実力の差です。残念ながらB君には、実力がかなり不足しているのです。これでは志望している公立高校には内申点的には足りていても、実力的にはかなり無理があるといえます。

 このことを、本人と塾と学校の先生がしっかり認識しているか、また把握しているか? 本人はもちろん、塾の先生や学校の先生がもしきちんとふだんから、実力の把握とその対策(これは言葉でいうのは簡単ですが、ホント難しい。)を行っているか、実力養成の問題を適切に指導しているか、そして生徒が学んでほんとうにそれらを吸収しているか、ということがとても大事なポイントとして指摘しておきます。

 次に、もうひとつ実力テストの点数で見ておきましょうか。B君の欠落してる部分です。

 それは、各科目の点数にあります。数・英・国についても少しずつ点数が足りません。が、それ以上に理科と社会に問題があります。まず社会、定期テストではA君は76点、B君は93点、一番の生徒は上記には書いてませんが94点としましょう。それが実力テストでは、A君は71点、B君は67点、そして一番の生徒の点数は90点という結果です。B君は得意なはずの社会でも、一番の生徒に大きく差をつけられ、A君にも負けています。こんなことが起こるのか、ですって? はい、しょっちゅう起こるのです、別に稀なケースではありません。

 こわい現実です。で、その原因は? 答えは簡単です。忘れてしまったのです。それもややこしい細かいところではなく、覚えていて当たり前の基本的な知識があちこち抜けてしまっているのです。 お気づきの方も多いでしょうが、中3なら社会は公民分野の勉強になります。定期テストは狭い範囲からの出題ですから、先生の授業をしっかり聞いて、真面目に努力していれば93点といういい点もとれるでしょう。とても頑張ったわけです。それに対して実力テストは、中1の地理、中2の歴史、中3の公民からの全出題です。実力テストの平均点は、50点(実力テストの社会はそんなものです。)とします。それと較べるなら、67点はあまり悪くはないのですが、もし公立トツプ高を狙うつもりでいるのなら、とんでもない学力といえます。要するに、習った全範囲に対する実力が根本的に不足してるのです。つまり、これまで深く長く記憶するといった勉強のしかた、あるいはそれ以上に、反復して覚えるといった復習の勉強をしてこなかったのです。

 次に理科。もうこれは分析するまでもありません。本人の点数は58点、おそらく平均点は45、6点前後と思われますが、平均点よりややいいという点数・・・。平常のテストの点も他の教科に比べ低いですし、はっきり実力も低く危うい。

 では、どうすればいいのか。

 あきらかに、まず勉強してきた範囲の、徹底した復習の勉強でしょう。一からやり直しです。(できることなら、もっと早めに、自分の実力に目をそらすことなくきびしく見つめて、そして復習を大いに心がけて実践していれば、こういうことにはなりません。)

 ところで、B君中心に話が進行しましたが、A君のほうはどうなっているのか。

 A君の成績を分析しますと、まだ伸びる余地はありますね。国語はこの時期(中3の2学期)ともなると、もうあまり期待できないかもしれませんが、英語と社会に焦点を当てればもっと実力が上がるはずです。ただ、かなり勉強しても2学期の定期テストの点が450点とれることはきびしいかもしれません。しかし、1,2年の復習と受験問題に力を入れれば、実力テストの点数アップは、まだそこそこ望めるはずです。

 しかしですね、本人の努力と成績アップにもかかわらず、「内申的」には評価はあまり変わらず、思っている位置には届かないかもしれません・・・。なにもわたしがこのようなこと、書きたいわけでは決してありません。過去幾多とこういうケースを見てきたからこそ、ひとつの注意点として知っていてほしいと思います。成績と内申点が、単純明快に比例していてくれれば、とてもうれしいことです。しかし、現実は一部を除いて、異なってしまうケースが多々出てくるものです。

 中3のそれも後半にもなって、こうしたことに気づくなんてことは、絶対避けるべきだと考えます。いまのうち識って置いて、できるだけ対策を打ってください。おそらくこのブログをお読みいただいている方のなかには、中1あるいは中2生をお持ちのご父母の方、また中3生でも時期的にも間に合う方も多くいらっしゃるでしょうから。