高校入試でターイセツなこと、って何だ?!
§264 くだらんなあと思うこと・・・
<ポジティブなもののみが他人を元気づける>

 あえてくだらんなあと思うこと、3つ。

 その一。
 テレビのニュース番組。いまのわたしには、必要な情報と思えるものはすくない。その情報の大半がくだらんなあと思っているわけではなく、ニュース番組につきもののニュースキャスターのコメントの内容に、まことにくだらないものがけっこう多く含くまれているように思える。

 事実を客観的に正確に伝えてくれれば、それでよい。それに対して仕事なのだろうが、いちいちまずい評価や青臭いと思える感想は要らない。とくにそのキャスターの感情や情緒のフィルターを通したもののなかに、ときおり偽善的な臭いが出ていたり、実はよくわかっていそうもない出来事まで生半可な知識や理解を加えられたりするものだから、辟易とする。そんなものは邪魔なだけだ。こちらで素朴に感じたり、適宜判断したり、またときに考えるから。専門家でなければわからない事実の解釈は別として、NHKも民放もすべて、このニュースキャスター(及びコメンテーター)の言説のなかには、このたぶんにくだらないものが混じっている。

 その二。
 大きさの例えとして「東京ドームの20個分です」という言いまわしを時折耳にする。しかし「東京ドームの○○倍です」といわれても、ピンとこないのです。瞬間にその大きさが閃かない。だからまず東京ドームの大きさをイメージして、それからその何倍かを掛け算して、その大きさ全体をなんとか想像することになるわけだけど、そもそもわたしは東京ドームになんか行ったことはないわけです。

 ですからコンサートで行ったことのある大阪ドームでなんとか代用することになるんだけど、どうもこの二段でイメージを拾う作業が面倒臭く、バカらしく、しかもその割には大きさの実感がどうにも出てこないものだから、自分の想像力の硬直性と衰えは棚に上げるとして、この表現には腹が立つのである。誰が言い始めたのか知らんが、この例えの表現はわかりやすそうで実はよくわからないもので、くだらん、やめてしまえ、といいたくなる。

 たとえば1辺500メートル四方の大きさ、といってもらうほうがはるかにわかりやすいし、瞬時にその拡がりが掴めるように思えるのだが。東京一極主義の驕りというか、共通認識を無理やり押し付けているようなこの言い回しには、どうも抵抗感がありイヤのものを感じる。

 その三。
 あなたの「親力」を診断――ネット社会だけには限らないけれど、いつのまに日本は、この種の、ほんとにくだらない、即物的で品性の欠片もない物の見方がさも当然というつらをして瀰漫するようになってきたのだろうか。こんなあほなフレーズを目にすると、恚り心頭に発するね。

 ほっといてくれっ! おそらくもっともらしいことがきれいに並べられているのであろうが、そんな基準で測ったらわたしなんか40点あるかどうかだと想うね。大体が見も知らぬ他人に評価、診断される筋合いはまったく無いわな。自分でこりゃダメだわいと、謙虚に質朴に自覚しておればいいだけのこと。日本人としてこれくらいの慎みは、まだ持っているつもりである。

 しかしこういった類のくだらんことは世の中にごろごろしているから、批評したらきりがない。若いときはくだらんなあと感じることはあまりなかったのだけど、年を累ねるにつれ、このくだらんなあと思うことは増えてくるものらしい。この感慨をあまりにも持つと虚無的になってしまうので、いけないが。

 このことについて、中野孝次がその著作の中で次にようなことを書いている。

「否定的なものは何者でもない。悪いものを悪いと言ったところで、それがいったい何の役に立つか?」
 というゲーテの言葉を引いて、
「世の中には不平家、不満家といった人種がいて、たえず他者を罵ったり、攻撃したり、悪口を言ったりしている。どこにもそういう人がいるものだ。その特徴は、自分では何かを作りだすとか、為(す)るというのではなく、他人がしたこと作ったものに対して批評をする人種だということだ。だが、そういう人達の言説は決して人を愉快にしたり、元気づけたり、幸福にしたりしない。<略>いつごろからそういう「悪いものを悪いと言う」行為の空しさに、わたしは気づいたろう。そんなことをしても何にもならない、と腹の底からわかるまでに、ずいぶん時間がかかったような気がする。中年になって、自分で仕事をし、ものを作りだすようになって、ようやく本当に、そんなことはぜんぜん生産的でないと理解した。<略>ネガティブなものは何ものでもない、ポジティブなもののみが他人を元気づける」
 と、述べておられる。

 まったくそのとおりだなあと思う。といっても、中野孝次氏はその後もずばずば、悪いものを悪いと、あえて批判し続けていますが。でもそれは、わたしのなかではなんら矛盾も齟齬もきたしておりません。

 わたしも一応ものを作る仕事の端っこにいるので、こんな否定的な内容はほどほどにして、もうすこし生産的なことを書かないといけないと自戒している。