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 やる気について<ただ「習慣」である>

 哲学者(あるいは思想家)が書いた「幸福論」には、有名なのが三つある。フランスのアランが書いた「幸福論」、スイスのカール・ヒルティが書いた「幸福論」、そしてイギリスのバートランド・ラッセルが書いた「幸福論」の三つです。

 このなかのヒルティが書いた「幸福論」をたしか高校生の時に読んだ記憶があるのですが、とっくにその内容は頭から消えてなくなっていました。しかし最近、ネットで彼の主張が一部載っているのを見つけ、読んでるうちにあれれ?・・・、私が以前書いたブログの内容と通底しているところがあるなと感じ、下に転載させていただくことにしました。

「仕事」という言葉を「勉強」に置き換えてもらえばさいわいです。

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・やる気は「待つ」な。行動で「創り出せ」
・「今日は気分が乗らないから、明日から本気を出そう」
・「モチベーションが上がらないから動けない」

 これもまた、私たちが陥りがちな罠です。ヒルティは、仕事における最大の敵は「先延ばし」と「気分のムラ」であると見抜いていました。

 彼は「良い習慣こそが、幸福への最短ルートである」と説いています。やる気(モチベーション)という不確実な感情をアテにしてはいけません。やる気があるから行動するのではなく、四の五の言わずにまず手足を動かして働き始めるから、後から気分が乗ってくる」のが人間。

 気分がどうであれ、毎日決まった時間に机に向かい、作業を始める。意志の力ではなく、「習慣」という環境の力で自分を縛ること。この冷徹なルーティンワークこそが、気分に振り回されない「上機嫌な日歩」を自動生成する最強のシステムなのです。
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 さて、私のブログも再び載せてみます。「やる気」について書いたものです。

 これは色気を出して論理的に書こうなんて気をもし起こすと、とんでもない迷路に嵌りこみそうな話題であると感じています。かといって、そぞろ気が向くまま書こうものなら、元来気は長いほうではないので、「やる気がなければ、やめておけっ!」って、叱阿する言葉がつい出てくるであろうし、話題の展開もヘチマもなくなるのがおちであります。だから、そのあいだを往くことにする・・・。

 英語のmotivateは、「人に動機を与える、学習意欲をそそる、〜にやる気を起こさせる」という動詞形ですが、その名詞、モチベーション(motivation)とはご存知のように、「動機づけ・意欲・やる気」という意味になります。英語で表現すると、なにか人為的にまた作為的に、ある方法や手段によって、「人にやる気を起こさせる」ことがなんでも可能なように思わせがちなのですが、そしてその理論や実践は、経営学的にさまざまに構築され運用されているのも事実なのでしょうが、しかし、それが仕事の場ではなく勉強の場となると、さてどうなんだろうか?―――

 英語やカタカナで表記するとある種、情念が入り込まないというか軽さがあり、それ以上思考が進まない面があります(うーん、わたしだけか?・・・)。一方、「やる気」なんて日本語になると、もうもろに自分の内部にある感情と気分ですから、象はないけれどいまにもすぐそれとコンタクトとれそうにも思えます。が、しかし・・・。

・「やる気を出すにはどすればいいですか?」
・「今、全然やる気が出ません。もうすぐテストがあるんですがすぐにやる気が出る方法はないでしょうか?」
・「どう頑張ればいいのか、何をしたらいいのか、まったくわからず自分でも困っています。勉強をする気になれません。何もしたくありません。でも何かやる気がでるような良い方法はありませんでしょうか」

 このような生徒の質問がネット上に載せられると、それに対して、世間には奇特な方がずいぶん多くおられて、まことに丁寧というか親切な回答がされているのに出くわします。それが飽きもせず繰り返されている現象に、わたしは閉口していまはもう見ないようにしています。ネット上の「質問」という名の得たいの知れぬものはパンドラの匣をあけてしまったかのように、もうなんでもありですね。

 もちろんこの感懐は少数の者が抱くでものであろうし、それらの応答を排斥する意図はありません。ただ、否定はしたい気分ではある。こういう個人の感情に属するものに、それも恣意的な気分に属するものまでに、見境なく答えや方法を質問する、そのあまりにも度が過ぎた依存心と幼稚さは、いったいどうやって生まれたんだろう?と、首を傾げたくなります。そしてこのような埒もない質問にいちいちていねいに応える大人がいるいまの日本社会の平和ボケにも、なにやら少し食傷気味にもなります。

 新聞の塾の広告のフレーズ――「やる気と集中力」を育てる。

 ほんとによく見かけるフレーズだが、ここにも「やる気」がなんの疑いもなく収まっていて、しかも「やる気と集中力」の2つを“育てる”というんだから、やる気と集中力のない、または乏しい生徒を持つ親御さんにはまことに有難いお言葉に響くかも知れないけれど、果たしてどれだけ信用していいものであろうか? わたしの場合、「やる気と集中力」をなんとか懸命に工夫して「その場だけ」なら持たすことはできても、“育てる”なんてことは口が裂けてもいえない言葉なのだが。

 ちょっと考えればわかるではないか。小学校でまた中学校のこれまでで、スポーツではなくあくまで勉強に限定しますが、子供に「やる気と集中力を育ててもらった」とたしかに実感している、または感謝している教師にどれほどの方が巡り合ったのであろうか? 10人に1人もいるのだろうか? いやいや50人に1人もいないのではないか・・・。その反対の良からぬ事例は昨今のニュースや新聞で数多あるわけだけど、それはさておき、なら塾の先生にそれを求めることに一体なんの根拠があるのだろうか? 

「〜を育てる」ということは、その育ったところまででいいから最低身につけていなければならないと思うのだが、塾で勉強のしかたと中身は教わったとして、さらに平行して生徒本人に、感情に属しかつ恣意的な気分でもある「やる気と集中力」を果たしてどれだけ身につけさせているのか、家でのその学習の後姿から視てみればいいかと思いますね。数は少ないですが、もともと「やる気と集中力」をもっている子は、それは他人の力によって育てられたものではおそらくないでしょう。

 もしわたしが、勉強に対して「やる気が出る方法はないでしょうか?」
なんて質問を受ければ、やる気のない気分、つまり返答したくない気分になんとも襲われて後退りしたくなってしまいますが、それでも万が一応えねばならないことになったなら、逆にこうひとつ問いたい。

「やる気が出れば、勉強はスムーズに進むのか?!」と。

 さて、ここからわたしが言いたいこと(ここから読んでいただいてもいいくらい。)

 やる気が出てからようやく勉強ができると、多くの生徒は考えているようですが、つまり、自分のなかにやる気が出てくるのを当てにして待っているわけですが、これほど当てにないならないものはないでしょう! なぜならそれは、箍の外れた我儘な気分に過ぎないからですね。勉強は「気分」でやるものではない! ただ「習慣」でやるものだ。と、そう思います。

 自分のなかにある、とりとめもない気分に甘えて流されるのではなく、昨日したように、今日も同じようにするだけ。とり立てて考えるまでもなく、また身構えて勉強に入っていくのではなく、ただただ習慣でやるものである。

 やる気があろうがなかろうが、そんなことは関係ない。知ったことではない。勉強に入っていけば、あとからやる気がじわっと出てくることは、けっこうあるものです。また最初からやる気が大いにある場合にでも、却ってそれがギクシャクと空回りして、思い通りに進まず、つんのめる場合もあるではありませ
んか。

 勉強をこなす量も実は、その中身をみると、たとえば2時間やったとして、前半の元気な1時間と後半のやや疲れたように感じる1時間を較べれば、それは集中力の度合いにもよるのだけど、得てして疲れた後半の1時間の内容のほうが密度が濃い場合がよくあるでしょう。

 もっといえば、3時間したあと、もういい、今日のノルマはじゅうぶん済んだと感じたあとに、なんの弾みかさらに30分執念深く(?)粘り強く勉強した結果に、疲労で雑になるかと思えば、逆に緻密な内容になっていることも意外と多いものである。これらは、やる気から生まれるものではない。強いていえば、ただ「習慣」である。そして「反復」である。

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 上の内容とはかなり次元も角度・掘り下げ方も違うのですが、この反復について、参考になるかも知れませんので哲学的考察を下に書き記しておきます。

 思想家、吉本隆明の言葉より。(ただし、実際のキルケゴールの使っている「反復」と吉本隆明が解釈している「反復」とは、わたしが知る限りはだいぶ異なっているのだけど、あくまで吉本隆明の表現が気に入っているもので。)


・キルケゴールの言葉でいえば、「反復というのが人間の本性に適してるというか、人間の本性は反復なんだ、あるいは人間の生涯は反復なんだということでしょうか。時間は自然に過去から未来へと流れていくけど、人間の精神の時間はかならず反復が繰り返されていく、人間の精神のもっている生涯のあり方はそうなってる」

・「人間の精神的な本性は反復で、ただ、時間は過去から未来へと流れていくけども、人間の精神は昨日あったことをまた明日、明後日にまたやるんだ。少しずつは違うかもしれないけれども、反復です」

 最後に
「やる気」があるから勉強するのではなく、四の五の言わずにまず手と頭を動かして勉強し始めよ。後から気分が乗ってくる」 それが人間です。「意志の力」なんてかっこいい言葉ではなく、「習慣」という環境の力で自分を縛ること。これが大事なのではないでしょうか。