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  高校入試でターイセツなこと、って何だ?!
§60 悪い癖?・・・VOL.1
<微妙な間が・・・欲しい>

 私にも悪い癖は一杯あるのだけど、それは棚に揚げておいて、今回は生徒の悪い癖について日頃の思うことを書いてみたい。

 学習場面のことだけど、一番気になることがある。それはミスをしたときのこと。例えば英語の授業。説明をして、それじゃあ演習に入る。問8の○番までして、と声をかける。生徒は黙々とする。暫し様子を見る。さて、すんなりすべてが出来ている筈はない。ミスをする箇所は十二分にわかっている。このわかりすぎているのも困ったものだが、しかたがない。

 生徒の力によって指摘の仕方も違うのだけど、できるだけぼやかしながら(?)またヒントに止めながら、誤り部分を指摘する。生徒自身が気付いて誤りを直してもらいたいからだ。そこで、はっと直ぐ気づく生徒も多いが、どこがどう間違ってるのか考え込んでしまう生徒も、これまた結構多いのだ。下手すりゃもう誤りを直して次にどんどん進んでいるだろうと、再度チェックしに来ると、まだフリーズしたまま、即ち固まったまま、先に進めないでうろうろしている生徒もいて、こちらの予測通りは事は進まないのが現実。

 その誤りがまったく新しい問題に対してなら、またかなり深く考えて答えを導く問題なら、もっと突っ込んだヒントや解く道筋に光をあてて説明するのだが、英語の演習の中でそんな大袈裟な問題はなく、また理解が不足してる場合は前もってかなり詳しく説明を繰り返し、もう大丈夫というかなという段階で演習作業に入るのだから、たいていのミスは基本の部分にあるわけです。

 その基本を具体的にいえば、英語の場合で話しているので、大体以下のような単純なことです。
1.疑問文なのに、?マークのつけ忘れ。(新入りの生徒の場合は、肯定文でピリオドも打たない)
2.時制のミス。過去形なのに現在形で訳す。反対に現在形なのに過去形で訳す。
3.3単現のs のつけ忘れ。
4.文の形のミス。英作も和訳も、疑問文なのに肯定文で書いたり、訳したりする。
5.前置詞がない。
6.冠詞がない。
7.be 動詞の文なのに、動詞がない。
8.主語の代名詞転換が適切でない。

 まだ挙げればほんとに細かいことが、また不可解なことを一杯してくれるので切りがないが、容易に頭に浮かぶところではこんなところか。
 英語は積み重ねの教科でしょう。前に習ったことの上に新しいことを載せていく。しかしその土台作りは中1より中2の1学期くらいまでかかるわけですが、この土台部分が脆弱というか、ぽこぽこ穴が空いていると、新しく習うことはたとえわかったとしても、テストではいい点は取れない。ましてや実力テストとなると尚更だ。列挙した1番から8番まで、土台も土台、基本中の基本だと思います。

 一体この穴を何度埋めれば気がすむのか、といいたい。今のことはできるが、過去の基本はきっちり出来ない。きっちりできないことは、テストでは更にそれ以上できない。これが公立中学生のごく標準の姿です。単に批判するだけなら簡単なことですが、これは口だけで二、三度注意しても決して直るものではない。よって、酷い場合は、3年間で数百回も単純なミスの指摘と直しをしなければならない破目になる。相当に疲れますね。

 ここで気になるのは、成績がいい生徒もそうでない生徒も、間違いを消しゴムで消し訂正すると、間髪を入れず直ぐに次の問題に移ることです。微妙な間がないんですね。何をそんなに急ぐのだろうか?! 間違っても、まるでなんとも思わないように見えるその表情と行動に、私は首を傾げまま戻せない。

「立ち止まらんかあっ!!」と、言いたい。その悪い癖を直せ。直ぐに次に行くのはやめなさい! その「無反省」のお蔭で、一体こちらは何十回同じミスを指摘しなければならないんだ。中3にもなりまだこういった単純な基礎の間違いをする生徒には、2学期にもなりそろそろ入試応用のプラスαの問題を教える段階になると、さすがにそんなレベルの間違いには付き合えきれないとい
うか、こちらが精魂尽き果てて言う元気もなくなる。悲しいかな、それでも言いますが。

 何もこれは英語のレベルが低い生徒を想像して述べてるわけではない。偏差値48から62ぐらいまでの生徒に当て嵌まることです。さすがに偏差が68前後の生徒になると、上記に当て嵌まる間違いは殆どない。但し、一度の注意と指摘だけでそれを身に付けている生徒はいないわけで、結構日常的にはぽろぽろ間違いをおかしたり、習ったことを忘れたりしてるものです。

 私の作成した問題集はその視点で作られてるからです。平凡なことですが、殆どの生徒は今習ってる文法だけなら、よく教えればできるのです。けれどもそれは狭い範囲の表層に過ぎない。言葉は悪いが、上っ面だけかもしれないのです。定期テストでは非常に悪い場合でも70点以上は取り、平均でも80点以上、力のある生徒は90点台を軽く取ります。

 しかし、それと実力は別物です。確かに比例の関係にありますが、×比例定数に問題があるんですね。これについての言及は今回の趣旨と逸れるので省くとして、大事なのは表層ではなくその内部でしょう。即ち、実力ですね。それを鍛えるのは、何も大袈裟な実力テスト対策だ、特訓だ、という前に、何でもない日常の学習の中に、まず求めなければならない。また、悪いところは直していかねばなりません。

 かつて教えた生徒の中で、英語ができる生徒は何人もいる。その中で一人、こいつは素晴らしいと思った男子生徒がいた。特に才気あふれる生徒でもなく、またそれを表に出すタイプでもなかったが、教えたことは99%吸収したように思う。一言でいうと、いつも謙虚に考えてる顔をしているのだ。演習をするでしょう。解くスピードは早くもないし遅くもない。一通り解くと、必ず静かにもう一度見直している。

 それは、ミスをしていないかの確認だけではなく、ポイントを押さえようとしているのだ。大切なことは何か、何がややこしいのか、またどれを深く暗記しなければならないのかの検討だ。実力が中途半端な生徒はできたと安心し、気を抜いてぼけッとしてるか(そんな生徒には厳しく指導するが)、見直してもミスをしていないかのチェックで終わってる場合が殆どだろう。

 演習の際、ミスを指摘した私の言葉に、つと立ち止まり、静かな間がある。納得反省したら、次に進む。勉強の姿勢でのこの差は大きい。その集積はもっと大きい。定期テストでは常に96点以上、実力テストでも100点を何度も取ったのはその生徒を措いて他にいない。学力偏差値も75前後は取っていた。

 一体、偏差値の68と75の差はどうして出てくるのであろう? これが高い次元の話なら、58と65の差はどうして生み出されるのであろう? 同じように演習して、同じように定期テストでは出来て。頭の違い? 数学ではなるほどあるんだけど、英語ではそんなにないと思うよ。答えは既に書いてあると思うので、後は皆様のご判断にお任せします。